世界史が始まるとき②中国
みなさん、こんにちは
コロナウイルス大変ですよね…
中国に勤務する友人たちは、日本にほとんど戻ってきてますが、中国に戻れないようです…。
私は絶対にかの国にて勤務することがないので、安心ですが…(笑)
さて、ということで、今回は中国の古代文明についてお話していきたいと思います。
中国って聞くと、どういったイメージがありますか…?
わたしは、少し偏見になってしまう部分もあるのですが、汚くて臭いイメージがあります…。少し中国に留学した経験があるのですが、どうもにおいがダメでした…。
あとは、少し古いかもしれませんが「パクリ」の国としても有名でしたね。ネズミのキャラクターやらネコ型ロボットやらがテレビを賑わせていたことと思います。
しかし、中国という国は、日本がまだ狩猟採集にいそしんでいたころ、大きな王朝を成立させていたすごい国だったのです。
有名どころでは…。「秦の始皇帝」とか「項羽と劉邦」なんてのは前3C末ころです。日本でよく聞く卑弥呼は、その400年以上あとの王朝である魏から「親魏倭王」という称号をもらってますから、日本がどれだけ中国に遅れていたかが分かりますね…
そろそろ本題に入っていきます。
まず、中国には大きな二つの川が流れています。
「黄河」と「長江」ですね。
昔の教科書では、「黄河文明」のみがあげられていましたが、現在は「長江・黄河流域で興った文明」のような書かれ方をしています。
原因は、近年になって長江流域で多くの開発が行われた結果、多くの遺跡が発掘されたことにあります。
この二つの河川の流域では、それぞれ主食が異なります。
黄河流域…主にアワやキビ、コムギなど。
長江流域…主にコメなど。
ですから、同一の文化圏と考えるのはよろしくない。そこで、黄河流域と長江流域をわけてお話しします。
黄河流域
黄河流域で成立した文明は「仰韶文化(前48C~前25C)」と「龍山文化(前30C~前20C)」を覚えておけばよいでしょう。大きな違いは、土器の形状でしょうか。
仰韶文化…「彩陶」とよばれる土器を作っていました。
龍山文化…「灰陶」や「黒陶」と呼ばれる土器を作っていました。
長江流域
長江流域で成立した文明は、教科書レベルでは出てこないと思います…。しかし、近年水稲の発祥の地をめぐって議論になった遺跡である「彭頭山遺跡(前70Cころ)」を覚えておくとよいと思います。
これらの文明は、後の夏王朝、殷王朝に結びついていくことになるのです。
中国の古代文明をお話しする際に、いつもどの時代で切るか迷います。夏や殷も含めるときもありますし、北京原人の段階からお話しすることもあります。
今回は、あくまで文明と呼ばれるものについて扱いました。
次回以降、夏殷について扱いたいと思います。